• 死とは何か?

  • これは今「死」に向き合っているものに向けたエッセイ。

    あなたが決断する前に、このエッセイを読んでほしいと思う。

  • 僕は知らない。
    死後の世界が何なのかを。

    僕は知らない。
    死という経験を。

    僕は知らない。
    死んだら僕の意志(心)がどうなるのかを。

    僕は知らない。
    死ぬ感覚を。

  • 僕は死に恐怖を感じているのかもしれない。

    それは死が未知で僕という存在が主観的に消えてなくなると思っているからかもしれない。

    だからこそ死について考えていこうと思う。

    僕が安心するために。

  • 「この世から、消えてなくなりたい」
    「痛みを伴わなければ、死を選択したい」

    僕は布団の中で、いつもそんなことを考えていた。

  • 双極性障害を発症して、これから生きていくのが辛くなった。

    毎日布団の中で、起きては寝ての繰り返しの日々。
    なんの生産性のない日々である。

  • 周りの人間たちは、僕の扱いがわからなくなっていた。

    「こうした方がいいんじゃない?」「ああした方がいいんじゃない?」っと助言をいう。

    「正直、ほっといてくれ、一人にしてくれ」っと口にすることはできなかった。

  • 人は「死」と向き合うと、ほとんどのことがどうでもいいと見えるらしい。

    「どうせ死ぬんだから、そんなことしてなんの意味があるの?」みたいに。

  • どこかの本に、うつを発症する段階が記載されていた。

    その本には、うつの最終(死)の一歩手前の状態が、「もうこれ以上、僕に期待しないでこれ」だった。

    当時の僕もそんなことばかり考えていた。

  • 希望なんてものは想像すらできない。
    未来で起こりうるであろう不幸ばかりが想像できる。

  • 暗い話になって申し訳ない。今では普通に生きているから安心してほしい。

    今「死」と向き合っているものに、「それでも生きろ」と言うほど、僕は傲慢な存在じゃない。

    このエッセイでは、そんなことは書きたくない。

  • ただ、今「死」と向き合っているものに書けることがあるとしたら、

    「死と向き合えたことは幸運なこと」だと伝えることができる。

  • ほとんどの人は自分の死を想像できない。

    まるで自分が永遠に生きれるかのような存在だと錯覚している。

    人間は、そんな生き物だ。

  • だって考えていただきたい。

    常に死の恐怖に怯えながら人は生活することができるのだろうか?

    前から歩いてくる人、横に座っている人、後ろから走ってくる人が、突然包丁を持ち出して襲ってくるんじゃないかっと常に想像することはできるだろうか?

  • 人は死の恐怖の前に発狂してしまう。

    だから、我々は死を想像することができないようになっている。

  • 今、あなたは何を考えているのだろうか?

    「死」という漠然的な恐怖に怯えているのだろうか?それとも来世への期待でもこめているのだろうか?

  • そう、あなたは今「死」と向き合っているのだ。

    ほとんどの人が「死」と向き合っていない中、あなただけが「死」と向き合っている。

    あなただけが人生の有限性に気づき、「死」という漠然的な概念を知ろうとしている。

  • 的確な言葉が思いつかないし、こんなことを書いてもいいのかと疑うが、書く。

    あなたのその出来事はあなたの長い人生の中で幸運なことだと。

  • 僕は死と向き合ったことで大事な何かに気づかされた。

    それは、人間関係や将来の不安、過去のトラウマなど、今まで複雑に絡み合っていたことが、死と向き合うことで、「世界はこんなにもシンプルなんだと」気づかされた

  • 自分はどうせ死ぬんだから、もっと自分を大切にしようと思えた。

    他人はどうせ死ぬんだから、もっと大事にしたい人を大事にしようと思えた。

  • 死と向き合ったものだけがわかる世界がある。

  • 死とは何か?

  • まこ

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